列車線では上り「屋久島2号」が到着したり、下り「屋久島1号」が入線する時間帯で、ホームは比較的閑散としていた。牽引する機関車はもっぱらEF58の天下であり、編成構成の内、その半数以上がオハ35等を使用する自由席座席車であった。 大阪と西鹿児島との間を16〜17時間掛けてのんびりと移動していたとは、時代を感じさせる。 京阪神緩行線の快速電車はほぼ全数が113系で運用され、大半の編成にはサロ110等のグリーン車が連結されていたが、利用状況は芳しくなかったと記憶する。 |
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